ふぅ」の映画ばなし。
ええと、、
僕の好きなポーランドの映画監督「クシュシフトフ・キシロフスキー」は幼少の頃、映画館の屋根によじ登り、屋根の隙間から館内を覗いていたそうだ。でも残念なことに、その隙間からスクリーンは見えず、ずっと観客達に写る光と影を眺めて、映画への憧れを膨らましていったそうだ。映画誕生から100年とちょっと。時代は変われど、映画に対する人々の憧れは変わらない。 映画に見せられて神を見出した人達がいる限り。(カメラワークの事を神の視線と言います。スクリーンに映し出される映像は、存在しない者としての視線ですからね。逝っちゃっている人達。と言う意味でも、まぁ良いですけど。)

映画に関する事を、好きに書きます。誰にもお勧めしませんが、クレームも受付ません。まぁ、ここまで来る人も、殆どいない事でしょう。まぁ、独り言ですので、、

しかし酷い文章。あぁ。

SawをDVDで見ました。「閉鎖された部屋に明かりがつくと対極 に鎖に繋がれた男。その中央に死体。」ホラーが嫌いな私でも 、それ以上のサスペンスに期待が。次々に繰り広げられる猟奇 的な殺人ゲーム、犯人は誰?その目的は?!スプラッタ映像を 極力抑える映像に更なる期待が膨らむ!!ラストシーンまで手 に汗握る。そして最後のどんでん返し!あれぇ〜はぁ〜!確か に犯人は予想外。と言うか、予想できる訳がない。こう言うの って覚めちゃうなぁ。犯人って結局のところ殆ど第三者。しか も目的は八つ当たり。サスペンスからホラーへと気持ちが降格 、目的がめちゃぶつけなら天災や「貞子」と一緒だよ。確かに 地震や雷は怖いし。交通事故や病気。通り魔や貞子も怖いけれ ど、だからと言って自宅でじっとしているほど我々は暇ではな いのだ。映画は普段体験出来ないことを疑似体験することが出 来る優れた媒体であるが、パニックムービーはいらない。僕は 心理的疑似体験を求めているのだ。Sawは現在、続編がアナウ ンスされている人気の映画なので否定的発言をするのはどうか と思うけれど、突込みどころ満載。終わり悪ければ、全てご破 算と言うのが僕の感想です。
04/6/20 川崎チネチッタ(始めて行きました。)で「21g」を観ました。人は死ぬと21g軽くなる。その21gの重さをテーマにした映画です。もちろん其の重量以上に重いテーマです。21gを実感するのは簡単!一円玉21枚なのですね。定量化するならば21gの差でしかない命。なんて重いのだろうと言うドラマなのでしょうが、、。文化の違いでしょうが日本人の私に取ってはこの映画、伝えたい重さよりは相当に軽く感じてしまいました。日本人って死期が迫るほど、人に迷惑を掛けず、自分の中に全ての元凶を包み込んで一緒に殺すことを美徳だと考える民族です。正直、あんなにバタバタするのはいやだ。滅茶苦茶自分勝手でわがままじゃん!もちろん、自分が当事者になればバタバタ滅茶苦茶になると思う。でもね、そうなりたくないと心から願うのだ。この映画を観て、相当に涙腺の緩い私が泣けませんでした。ひさびさにハリウッド映画を観ましたが、やはり軽さは否めません。時間が錯綜する編集の仕方も、新鮮さが無く効果的には思えませんでした。

日本に生まれた僕たちは、この分野で負ける訳にはいかないのだとおもいます。

04/4/29 近所に川が流れていて。お散歩します。夕暮れの車窓を見つめて。無理。「pagan poetry」"bjork"を聞いているから。彼女の音楽は、とりあえず音楽と言うカテゴリーがあるから、でもね。宗教に近いと思います。これしか形容出来ない。もし彼女の音楽がカテゴリー付け出来るのであれば。朝から晩までお経を唱える様に。アホかと思える位「pagan poetry」を訊いている。たぶん300回以上。繰り返し。繰り返し。彼女の子宮の中で、37℃の羊水に包まれて。景色はほんとに、ちょっとした気持ちの動きで変わる。なんて素敵なんだろ。
04/4/16 作家の鷺沢萌さんが死んでしまいました。死因が自殺なのは少なからずショックです。鷺沢さんとは銀座の単館系映画館で会いました。と言っても、好きな監督の映画を観に行ったら解説対談みたいなイベントでゲストとして呼ばれて、僕は観客として見ていただけですけれど。上映作品はキシロフスキーの「デカローグ」この映画は1時間程度の作品を10作品。全部の作品を観るには、かなりの時間を要します。作品の間に何度か解説対談が行われた。確かそんな感じだった様に思います。正直に言って、鷺沢さんの印象はかなり悪かった。たぶんその場にいたかなりの人が感じた空虚、彼女の作品に対してのコメントは、もう放りなげた感じで「仕事だからやってるけど、ほんとは。て言うか全然興味ないのよねぇ〜」そんな印象を受けました。確かにキシロフスキーの映画は解りにくい所はあると思います。でもね、みんな彼の映画が好きで観にきてるんだもの。彼女の言葉は無意味な反感を呼び、ちいさな暴力的気持ちを人々の心の底に植え付けた様に思います。簡単に言えば「その場の空気の読めない人」そんな印象を受けました。普通の人は仕事を仕事として割り切り、ユーザーやクライアントの意向にそって行う物。仕事としてもそれの方が楽なのよね、もちろん小説家なのだからそれくらいな方が良いかもしれないけれど、自己演出するならもっとうまく出来るはずだと思う。不器用で痛い感じ。彼女の初期の作品の様に、具体的に痛みを伴う切ない気持ち。絶対に勝ち目のない者と戦ってさぁ、結局まけてんじゃ〜ねーよ。バカ。泣けてくるじゃないか。貴方のことは一から十まで何もわからないけれどさ、死んじゃだめだよ!
04/3/3 人は、誰かを存在すら消し去りたく思う時。実は、その人を最も理解する瞬間なのである。渋谷シネマライズで「ドッグ・ヴィル」を観ました。監督「ラース・フォン・トリアー」日本でも、「ダンサー・インザ・ダーク」が全国?上映されたので、知っている人もいると思いますけど、どうでしょう。僕は「ビヨーク」(「ダンサー・インザ・ダーク」の主演女優。アイスランドの歌姫)の大ファンなので、、ええと、今日は「ドッグ・ヴィル」です。舞台を造った事がある人間でしたら、さほどの驚きもありません。逆に、映像を駆使した舞台の成功例も数多くあるくらいです。でも、このパターン、全編、演劇的手法を、額縁でなく、神の視線(カメラワーク)で描く。全部が成功(表現手法として。)しているとは思いませんが、どうなんでしょう。映像は、やっぱり記録であり、目の前で役者の繰り広げられるストーリー展開での仮想リアリティは舞台の方が上、、と、個人的には思います。観る者の意識の差ですね。絶対に意義のある映画だと思います。次に続く、新しい表現の幕開けです。
04/2/26 最近劇場で観たのは、SUBU監督の「幸福の鐘」。主演の寺島進に引かれて見に行ったのさ。寺島進と言えば、やはり「北野武」のやくざ映画部門での常連。「Brother」での舎弟役は、ちょっとかっこ良すぎだけど、やっぱり痺れました。無口で、わるそうで、でも人が良さそうで、眼の下の隈がよく似合う。黙っている姿が画になる役者です。と言うわけで「幸福の鐘」での台詞は最後にちょっとあるだけ。そのうちレンタルされると思いますので、お楽しみと言う事で、、ロードムービー風なんだけど、エンタメに振った創りで、好みの分かれる所でしょうけど。自殺する男の台詞で、「つらいんです。敬語しかしゃべれないんです。」この台詞、すきだなぁ。もう、それだけで納得しちゃう。ギャップなんだと思う。つらい、せつない物事を表現するには、苦痛や痛みを出すより、逆。逆の方が適切なリアリティーを生み出すと思う。自殺する人間の痛みなんて、それどころか戦争映画の兵士が死ぬ所だって映画の中では仮想現実。痛みを表現するならば、皮膚をそぐ様な、リアルな残虐。否、僕は、お笑いなんだと思います。笑っちゃえるから切ない。劇場に入った時と出る時で、街の景色が違って見えるほど凄い映画ではないけれど、わるくない映画です。渋谷シネアミューズにて上映。